たまには・・・イスラームのお話「ハラールとハラーム」について~その1

日本在住のムスリマ(女性イスラーム教徒)による、オンライン講座「i-meeting」より、
ハラールとハラームについての講義を転載します。

3回にわたる講義を1つずつアップしていきますので、どうぞ、ご覧ください。

***** 以下転載です。 *****

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において
40のハディース 第36回
الأربعين النووية  2015年9月2日
イマーム アンナワウィー編    『40のハディース』解説


第6のハディース
عن أبي عبدِ اللهِ النُّعمانِ بنِ بَشيرٍ رَضِي اللهُ عَنْهُما قالَ:( سَمِعْتُ رسولَ اللهِ صَلَّى اللهُ عَلَيْهِ وَسَلَّمَ يقولُ: {إنَّ الحَلاَلَ بَيِّنٌ وَإِنَّ الْحَرَامَ بَيِّنٌ، وَبَيْنَهُما أُمُورٌ مُشْتَبِهَاتٌ لاَ يَعْلَمُهُنَّ كَثِيرٌ مِنَ النَّاسِ،   فَمَنِ اتَّقَى الشُّبُهَاتِ فَقَدِ اسْتَبْرَأَ لِدِينِهِ وعِرْضِهِ، ومَنْ وَقَعَ فِي الشُّبُهَاتِ وَقَعَ فِي الْحَرَامِ، كَالرَّاعِي يَرْعَى حَوْلَ الْحِمَى يُوشِكُ أَنْ يَرْتَعَ فِيهِ، أَلاَ وَإِنَّ لِكُلِّ مَلِكٍ حِمًى، أَلاَ وإِنَّ حِمَى اللهِ مَحَارِمُـهُ،    أَلاَ وَإِنَّ فِي الْجَسَدِ مُضْغَةً إِذَا صَلَحَتْ صَلَحَ الْجَسَدُ كُلُّهُ، وَإِذَا فَسَدَتْ فَسَدَ الْجَسَدُ كُلُّهُ،       أَلاَ وهِيَ الْقَلْبُ}) رواه البخاريُّ ومسلمٌ.

第 6 の伝承
バシールの息子、アブー・アブドッラーフ・アンヌアマーン―アッラーよ彼ら両名を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。私はアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―がこう言われるのを聞いた。

≪許されたこと 1は明らかであり、禁じられたこと 2もまた明瞭であるが、その中間には多くの人々が知りえないさまざまな疑わしい事柄がある。
したがって疑わしい事柄を避ける者は、自分の宗教、名誉に関して〔過ちから〕免れるが、それに足を踏み入れる者は禁じられた行為を犯すことになる。
これはちょうど聖域のまわりで動物を飼う牧童 3が、聖域の中で動物に草を食ませる危険を冒すようなものである。まことに王者は誰しも聖域をもっているが、アッラーの聖域とはそのさまざまな禁令である。
まことに肉体の中には一片の肉があり、それが健全な場合肉体はすべて健全だが、それが腐ると肉体もすべて腐ってしまう。その〔一片の肉〕とは心のことに他ならない。≫

この伝承は、アルブハーリーとムスリムの 2 人が伝えている。

1 原語ハラールとは宗教で許されたこと、許された行為を指す。
2 原語ハラームとは宗教で禁じられたこと、禁じられた行為を指す。
3 聖域中で動物に草を喰ませてはならないが、えてしてその周囲で動物を飼う牧童は知らぬ間にその禁を破ってしまいがちである。

ハディース解説

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、このハディースで、イスラームのフクム(見解)に含まれる事柄には3つに分類されることを教えています。


1. 疑いのないハラール
2. 疑いのないハラーム
3. 1と2のどちらにも入らないもの(ムシュタビハート:疑わしい事柄)


ひとつずつ説明していきましょう。

1. 疑いのないハラール ≪許されたこと は明らかであり、≫

ハラールとは?言語的には「ムバーハ(許されたもの)」という意味。ハラール=ムバーハ。
ハラールの1種類目:クルアーンかハディースで、許されたものとして記述されているもの
ハラールの2種類目:クルアーンかハディースで、「ハラーム」として記述されていないすべてのもので、ハラームになる要素が何もないもの。なぜなら、イスラームでは、すべての物は、元来、ハラールであり、ハラームであるという明白な原因がない限りハラールである、という基本があるからです。この根拠は以下のクルアーンのアーヤとハディースです。

◆クルアーン
【アーダムの子孫よ、何処のマスジドでも清潔な衣服を体につけなさい。そして食べたり飲んだりしなさい。だが度を越してはならない。本当にかれは浪費する者を御好みにならない。】クルアーン 高壁章7-31.
【言ってやるがいい。「アッラーがしもべたちに与えられた、かれからの(賜物)や、食料として(与えられた)清浄なものを、誰が禁じたのか。」言ってやるがいい。「これらのものは、現世の信仰する者たちのためのものであり、特に審判の日には完全に信者の専有するものとなる。」われはこのように印を、理解ある人々に解明する。】クルアーン 高壁章7-32
【かれこそは、大地をあなたがたに使い易くなされた方である。それでその諸地域を往来し、かれの糧を食べるがよい。そして復活の時にはかれに召されていく身である。】クルアーン 大権章67-15

◆ハディース
預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。
《3人のグループが預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の奥様達の家にやって来ると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の崇拝行為について尋ねました。そこでそれについて告げると、彼らはそれを少なすぎると感じたようでした。そこで(奥様達が)おっしゃいました。「私たちが預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と比べることができましょうか?アッラーがすでに彼の過去の罪も、未来の罪もお赦しになられていると言うのに。」彼らの一人が言いました。「私だったら、夜中ずっと起きて礼拝します。」また別の一人が言いました。「私は一生断食し、決してそれを解きません。」また別の一人が言いました。「私は女性を退け、決して結婚しない。」そこにアッラーの使徒さま(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がお見えになりおっしゃいました。「あなた方が、こうこうこのようにおっしゃった方たちですか?アッラーに誓って、私はあなた方の中で最もアッラーを恐れる者で、最も敬虔ですが、私は断食しそれを解きますし、礼拝し眠ります、また女性と結婚します。私のスンナ(慣行)を嫌う者は、私の宗派ではありません。」》ブハーリー伝承

結婚もイフタールも夜寝ることもムバーハ、許されたことだ、ということです。疑いのないハラールというのは、とても大きな部分を占める広い範囲のものです。
ムバーハの2種類目:クルアーンにもハディースにも、ハラールだともハラームだとも書かれていないもので、食べても病気になったりせず、健康にも悪くないなどハラームの要素がないもの。大多数のイスラーム学者がこの種類もハラールだとしています。
【かれこそは、あなたがたのために、地上の凡てのものを創られた方であり、更に天の創造に向かい、7つの天を完成された御方。】クルアーン 雌牛章2-29

2. 疑いのないハラーム ≪禁じられたこともまた明瞭である≫

ハラームの1種類目:クルアーンかハディースで、禁じられたものとして記述されているもの。例:豚肉
豚肉は、どんな状態であってもハラームです。豚肉そのものであっても、その油が何か他の物に混ぜられていても、ハラームです。根拠はクルアーンに記されています。
【かれがあなたがたに、(食べることを)禁じられるものは、死肉、血、豚肉、およびアッラー以外(の名)で供えられたものである。だが故意に違反せず、また法を越えず必要に迫られた場合は罪にはならない。アッラーは寛容にして慈悲深い方であられる。】クルアーン 雌牛章2-173

ムスリムの中には、「なぜ豚肉を食べてはいけないのか?」「豚肉は、現在、衛生的な処理がしてあるから、不浄だというのはおかしいのでは?」と言う人たちがいますが、クルアーンの中でアッラーがそれを禁じていることは、最後の審判の日まで決して変わることのないフクム(見解)です。豚肉がどんなに衛生的に処理されていても、それがハラームであることは変わることがありません。

すべての宇宙を創って、私たちに命を与えてくださったアッラーは、私たちが豚肉を食べることをクルアーンの中で禁じています。人はそうしたければそれを避け、そうしたければそれを食べるでしょう。アッラーに従いたい人はそれを避け、従いたくない人はそれを食べます。アッラーが禁じているということは、必ず、そこに私たちにとっての害があります。豚肉に害があることが科学的に証明されていてもいなくても、その事実は変わりません。

そのことは、イスラーイールの民の事例から学ぶことができます。イスラーイールの民はかつて漁業で魚を獲っていましたが、アッラーが、土曜日に働くことを禁じました。何の原因も理由もありません。ただそうアッラーが禁じられたのです。土曜日の漁に問題があった訳でも何でもありませんでした。逆に、土曜日になると、多くの魚が集まり、他の日よりもよりたくさん獲れていました。日曜日から金曜日まで、獲れる魚は普通の量で、土曜日だけがとても多かったのです。土曜日に魚を獲らないことは、現世での理由や原因を探すと、何もありませんでした。なぜなら、それはアッラーの試験だからです。アッラーが彼らを試したのです。

イスラーイールの民の中の一部の人たちは、どうして土曜日に魚を獲ってはいけないのか?別にいいではないか?と言い始め、土曜日に集まる多くの魚を捕獲するため、海と川の間に穴を掘り、土曜日にそこに魚が入るように仕掛け、そこに入った多くの魚を日曜日に回収するということをし始めました。それを見て人々が真似をし始め、土曜日にその方法で魚を集めることが広まりました。イスラーイールの民の中の学者たちは、安息日と決められている土曜日に狩猟をすることを止めるよう、人々に忠告しましたが、彼らは止めませんでした。このため、アッラーは、約束を破った人たちに対して、罰を与えたとクルアーンにあります。

【またあなたがたは、自分たちの中で安息日の掟を破った者に就いて知っている、われはかれらに言い渡した。「あなたがたは猿になれ、卑められ排斥されよ。」】クルアーン 章2-65

ダーウィンの種の起源では、猿から人間になった、という仮説を立て、その証拠となる化石が未だに見つかっていないという事実があり、その仮説が正しくなかったことがすでに明らかになっていますが、クルアーンには、逆に、アッラーが人を猿に変えた、という事実が書かれています。

この事例から学ぶことができるように、豚肉がなぜ禁じられているのか?と疑い、自己判断して、食べるという自由も私たちにはあり、また、それをアッラーが禁じているから、という理由だけで避けるという自由も同じようにすべての人にあります。アッラーはそれを強制することなく、どちらに従うのかは、私たちに任されています。これが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、≪禁じられたこともまた明瞭である≫とおっしゃっていることです。
他にも、酒、掛け矢、利子、アッラー以外の名で屠られた物、権利なく人の財産を取ること、殺人、盗みなど多くのハラームについてクルアーンに記述があります。

ハラームの2種類目:クルアーンかハディースで、「ハラーム」として記述されていない新しい食べ物で、それがハラームの原因となる要素を含むもの。例えば、私たちの健康を害するものや酔わせるものは、ハラームです。例えば、最近開発された新しい飲み物で、それを飲むと酔わせるものがあったら、どうでしょうか?酔わせるものに関してはすべてハラームというハディースがあるため、その飲み物の名前自体がクルアーンやハディースで言われたものでなくても、それはやはりハラームとなります。

例えば、煙草も、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の時代にはなかったものです。現代のすべての医者は皆、タバコには発がん性がある、と言います。イスラームでは、体を害する物はハラームですから、イスラームの見解は、ハラームです。(一部の学者はマクルーフ(嫌悪されるもの)という見解もあります)

しかし、人々をアッラーへと招くダアワにおいては、例えば、タバコを吸っている人と話をする時に、あなたはハラームを犯している!といきなり言うことは、間違いです。なぜならば、ダアワは、もっと重要なことから始めるべきだからです。もし仮に、信仰熱心な人もそうでない人も集まるような場所で、タバコのハラーム性を説教したら、どうなるでしょうか。それを聞いて、礼拝をしに来た人が、イマームがタバコを吸っているのを見て、ハラームだ!もうそのモスクには礼拝に行かない、となり、金曜礼拝も行かなくなり、モスクからだんだん遠ざかってしまうかもしれません。他のムスリムの友人たちがタバコを吸っているのを見て、みんなハラームを犯している、と付き合いをやめてしまうかもしれません。それでは本末転倒です。

例えば、礼拝をしない人がいたら、その人がタバコを吸っていることは置いておきます。ただ、礼拝に誘います。アッラーのことを信じていない人や、疑いを持っている人がいたら、その人がお酒を飲んでいることも、タバコを吸っていることも置いておきます。ただ、アッラーのことを理解してもらうよう努力します。そちらの方がずっと重要だからです。

現在は、逆のことをしている人を多く見かけます。ムスリムでない人が見るサイトや場所で、イスラーム内の細かい見解の違いについて、論争をしていたり、言い合いをしていたりします。それを見たムスリムでない一般の人たちが、どんな気持ちがするかを、考えることがありません。物事には順序があり、それを無視すると、一番伝えなければならないことが伝わらず、伝えなくてもいいことばかりを伝えていることがあるかもしれません。

質問:豚の成分が入った薬を飲むことはハラームですか?
回答:その薬が、医学的に、豚以外の成分の入っていない代わりの薬がないのであれば、「必要時」の特別な措置として、それを服用することはハラームにはなりません。しかし、その薬の代わりになる、豚の成分の入っていない薬がある場合には、その薬を服用することはハラームになります。豚以外のナジス(不浄なもの)も同じフクムです。この根拠は以下のハディースに拠ります。

≪アナス・ビン・マーリクは次のように伝えている
ウライナ部族の幾人かの人々がマディーナのアッラーの使徒のもとにやって来た。しかし彼らはマディーナに馴染まずに病気になりこの地を嫌った。そこでアッラーの使徒は彼らにこういった。
もしあなた達が望むならサダカのラクダの集まっている所に行きその乳と尿(注1)を飲むことができます。
それで彼らはそのように行い元気になった。・・・(ハディースには続きがあります)≫ ムスリム伝承

「必要時」であれば、ナジスであっても取ることができるという根拠です。(ラクダの尿がナジスでない、とする学派もあります。)
参照:ナジスの混ざった薬に関するエジプトのアズハルのファトワ:

http://dar-alifta.org.eg/Foreign/ViewFatwa.aspx?ID=5976&text=Medicine